20220108_春と修羅を途中まで読む

友達に会いに行く途中の駅で『宮沢賢治全集 』を買う。昨日なんとなく口に出した『永訣の朝』の周りの詩を読んでみたくなったからだ。文庫本であったが予想の3倍厚かった。

少しずつ読み進めて、『水は海に向かって流れる』の楓ちゃんも心の中の修羅のこと言ってたなあ、あのことだなあと思い返す。

うろ覚えだが「あれは火事ではなく虹でした」という内容の短い詩が、Twitterでみる虚構のつぶやきみたいで良いなと思った。冬の日や雪の描写の書き出しが好きだなと近年思っていたので、そういう表現がたくさん収録されていて嬉しい。鉱物に色や質感をなぞらえているのもらしいなと思う。鉱物が出てくる一節では「黄水晶(シトリン)の夕方」が好き。

詩に出てくる農民のセリフは岩手のおばあちゃんのイントネーションで再生される。「おれ」という文字が出ると、おばあちゃんも自分のことを「おれ」って言ってたなとうっすら思い出す。ワイルドな感じでなくて素朴な一人称として、どちらかと言えば「おら」のニュアンスに近い「おれ」だった。

『永訣の朝』の手前まで読んで寝ることにした。あとは朝に読むのがいいだろう。